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青山スクールの先生方、ご無沙汰しております。学校を卒業してから、あっという間に22年が経ちました。創校三
十周年と聞き、お祝いの言葉とメッセージを送らせていただきます。
私は1982年10月に来日し、青山スクールに入校しました。日本の美しい紅葉の季節に感激しながら日本語の勉強を始めました。青山スクールで過ごした
1年半は生涯で最も忘れ難い日々でした。丁年で親切な先生方と面倒見のいい先輩達がいて、不安も不自由もなく勉強に集中することが出来ました。
一方、人生で初めてのピンチに遭遇したのもこの時期でした。大学受験が近づく頃、親の突然の事業失敗で経済的な支援を受けられなくなっていまいました。
途
方
にくれて、校長先生に相談したところ、「合格したら一緒に考えましょう」心強い応援の言葉を頂ました。そして、受験の前日に父親からの遺書を郵便で受け
取っ
ても中西先生のお言葉を信じ、特に心の動揺もせず試験に臨みました。運が良く合格して、先生は約束どうり援助してくれました。私の妹も助けてくださいま
した。あの時の一言で、私達姉妹の人生が良い方向に導かれたことは1日も忘れず過ごしてきました。
親は子供達に苦労させたいと思っているようですが、私にとって異国で暮らす自信を与えてもらった貴重な体験だと思っています。今通訳という仕事を通じ
て、
日本という国に少しでも恩返しできたらうれしいと思っています。青山スクールの卒業生として大変誇りに思い、お世話になった先生方にもう一度お礼を申し上
げます。
青山スクール創立30周年おめでとうございます。いっそうのご発展をお祈り申し上げます。
卒業生 楊 淑恵・ 桑山淑恵(1982年〜1984年3月)(台湾)
私は2003年度卒業生、タイ出身のチャイワットです。この度は、三十周年おめでとうござ
います。青山スクールは30年間にわたって日本語や日本文化を留
学生に教えてきました。これは大変なことです。生徒は十人十色で中には悪い学生もいます。青山スクールは悪い学生も拒まず、日本語だけではなく良い人生を
送ることも教えてきました。校長、中西先生の教えの子の中には私の父もいます。父、チャンチャイはまだ青山スクールが出来る前、中西先生の生徒でした。私
がまだうまれてもいない頃の話です。それから30年以上の月日が経ち、成人した私に父が選んでくれた道は、青山スクールに入学することでした。日本に行く
前はまったく日本語が出来なかったので、父と離れて1人暮らしをするのは不安でしたが、日本に着いた時、両親みたいに優しくしてくれた校長先生と太郎さん
のおかげで不安が消え去りました。初対面の時、私は日本語がほとんどわからず、太郎さんのご挨拶に返事もしなかったことを今でも覚えています。良く思い出
し、一人で笑ってます。1年半青山スクールで勉強し、日本に来た最初の日と比べたら自分が信じられないくらい成長したと感じます。そして、青山スクールの
おかげで希望の専門学校に入学できました。その後、専門学校を卒業し、私は父が経営する日本人向けの旅行会社を手伝うため帰国しました。今も自分の夢に向
かってがんばっています。これからも、青山スクールは日本語教育を通じて生徒を夢へと導く学校であり続けるでしょう。
卒業生 チャイワット トラサッタヤー(タイ)
まず、青山スクールの30周年記念のお喜びを大慶にお祝い申し上げます。皆様、お久し振
りで御座います。お変わりなくお元気ですか?時の流れは、速いで
すね。思い返せば、もう18年前の事ですね。1988年(昭和63年)1月6日に、ある台湾の兵役を終わったばかりの若者は、分らない人生の未来を掴む為
に、遥々暖かい台湾から、寒い1月に日本へ飛んで参りました。
最初は、観光ビザで、城西短大に在籍していた青山スクールの卒業生の妹―何東麗を訪ねて、遊びに来ただけでした。大学受験の為に、校長先生のお薦めに従っ
て、プライベートレッスンを受ける事で、あっと言う間に観光客から準就学生に変身させられてしまいました。軍隊の班長教育で鍛えた勇気を出して、前向きに
その挑戦を迎えるしかないと思いました。雪の降る寒い日本の生活は、すべて興味津々でした。日本語が白紙の私は、運が良かったのでしょうか?密集的に1ヶ
月の中で、初級コースを勉強し、遂に2月の上旬、進級試験を受け、90点以上を取ったので、1年半コースの日比野先生のB2クラスに編入させていただきま
した。従って、私は入学式に出ていない生徒になったわけです。嬉しかったのは、台湾と香港とタイの同級生の友達が出来て寂しくなくなった事です。その後、
何かのご縁で、校長先生のお宅に引っ越し、半年ぐらいお世話になりました。初めに納豆入りの稲荷揚げを飲み込めなかったと言う失敗した事が今でも昨日のよ
うです。当時、郁太郎さんと野球チームの仲間は、小学校3、4年生で可愛かったです。彼らと一緒に正座して、先生に英語を教わることが面白い画面でした。
私にとって日本の家庭に入って生活したのは、貴重な経験です。
校長先生の口は、時々きつい話をされるけれども、心は優しいです。良く学生と卒業生達の面倒を見ます。卒業生の先輩の楊さんが、富山で結婚式
(1988.5.3)を挙げる事になり、先生の家族を招きましたが、突然、郁太郎さんが学校の行事で行けなくなったので、郁太郎さんの変わりに、先生夫婦
は、私を連れて行ってくれました。初めて日本の結婚式に参加し、神道の儀式が印象深かったです。楊先輩に末永くお幸せにと祝福しました。先生は、野球が好
きで、ヤクルトのファンです。一回、郁太郎さんと私を連れて、ヤクルト対巨人戦の試合を見に行きました。偶然に台湾の選手―呂明賜が出場していて、2ホ−
ムランを打って逆転勝利になりました。私は、先生に申し訳ないと思いながら、表では笑えないけれども、裏では台湾選手の大活躍に嬉しかったです。先生は、
私がこれをテーマにした作文を書き直して、教材として雑誌に載せて下さいました。
また、先生が何かの訳で、入院した時、大勢の学生達と、病院へお見舞いに参った覚えがあります。先生は、隣のベッドの人に、どうして変な外人ばかり見舞い
に来ると疑問されたと冗談を言われました。その後、ヘビースモーカーの先生は、タバコをおやめになりました。
青山スクールでは、授業ばかりではなく、お花見(1988.4.12)、天野様の美容院との国際交流活動及び社員旅行(9.19)、清水市の盆踊りとホー
ムステイ(7.30-8.1)、スピーチ大会、初詣などの行事を体験できました。お花見の授業で、先生方々は、お母さんやお姉さんみたいに可愛がって下さ
いました。横浜の天野様も優しい紳士です。初対面は、怖い山口組長みたいな顔と髭をしているけれども行動力のある方です。テレビを見ただけで、すぐ青山ス
クールに連絡し、留学生を招待し、無料の散髪やゲームなどの親善活動をして下さいました。学生達も、その親切さを感じ、ご恩返しで、学校の教室を借りて、
餃子を手作りして、天野美容院の皆様をご招待しました。私は光栄にも天野さまの会社の社員(日光)旅行に誘われました。日光の神社で好運を祈る神道の儀式
で、私は、大学試験に合格が出来るようにお祈りして、大学に合格した時、休みの日に一人で、日帰りで、浅草から特急電車に乗り、日光の神社へお礼に行って
来ました。清水の盆踊りも、素晴らしかったです。ホームステイ先の伏見家も、大変優しいご家族でした。お姉様は、綺麗で優しく観光に連れて行ってくれまし
た。登呂で、高校時代に教科書で読んだ"東漢委奴国王印"を見たのは、びっくりしました。
クラス授業も、面白くて素晴らしかったです。担任の日比野先生をはじめ、玉城先生、柏木先生、平先生などの恩師の方々がいらっしゃいました。講義は、漢
字、文法、ヒヤリングなどがあり、先生も活発に分りやすく繰り返して教える事で、勉強になりました。授業が終わり、私は、良く夕方まで、学校の台所に残っ
て宿題を書いたり、勉強したり、頑張った事が一生忘れられません。卒業後、当時、事務室の横山先生がわざわざ残業して、私の勉強を待っていた事を、誰に教
えられて分かりました。本当にお詫びしながら深謝いたします。台所のお蔭で、先生方々の出入りの言葉(行ってきます、ただ今、お帰りなさい)を耳で覚え
て、敬語とヒヤリングで良い点数が取れました。なおかつ、大学の入学試験もご心配下さいまして、何回も何回も模擬試験と面接の練習と進学理由書の書き直し
をして下さいました。柏木先生が教えて下さった起承転結という進学理由書の書き方と先生方々から面接の練習がなければ、二つ目の大学受験に合格が出来な
かったと思います。因みに、幾ら、私の日本語一級試験が300点を取れたとしても、先生方々の教えがなければ、大学に入れなかったでしょう。お蔭で、平成
元年に専修大学に入学し、改めて恩師の方々に有難う御座いますと申し上げます。
思い返せば、日本で留学した7年間は、途中で留年もせずに、1年間の青山スクールの日本語学校と4年間の専修大学経営学科と2年間の専修大学経営研究科の
修士課程で合わせた7年間でした。その中で、1年目の啓蒙的な日本語学校の教育は、一番大事だと存じます。今でも、青山スクールで日本語の学習をきちんと
勉強ができなかったら、修士課程の論文が書けなかったと思います。一方、青山スクールで、先生方々のお手伝いと引越しの世話で培った世話好きな性格と兵役
で鍛えた班長のリーダシップを発揮し、専修大学の台湾留学生会の会長を始め、中華民国(台湾)留日同学会の康楽副主席に至るまで、組織の運営と人脈作りな
どを教わりました。もし、何か誇りに思える事があれば、全て青山スクールのお蔭だと存じます。所で、校長先生のご要望にお応えし、ある秘密を言いましょ
う。それは、家の兄弟4人と従姉妹3人を含んで、全部7人も、青山スクールから卒業した事です。
末筆ですが、私とも、青山スクールの30歳の誕生日のお祝いを申し上げ、恩師の方々と皆様にも、繰り返して深くお礼を申し上げ、祝福して擱筆させて頂きま
す。
卒業生
何東志 (台湾台南市)
2006/2/12
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